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2011年12月18日

2CELLOS



2CELLOS (Sulic & Hauser) - Smooth Criminal

Michael Jackson - Smooth criminal
http://youtu.be/b4qkfBAyxXg  

Posted by 永卯称瓶 at 10:03Comments(0)music/アメリカ

2011年12月06日

Maroon 5



Maroon 5 - Moves Like Jagger ft. Christina Aguilera  

Posted by 永卯称瓶 at 01:02Comments(0)music/アメリカ

2007年04月29日

Red Hot Chili Peppers

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
GREATEST HITS (2006)



正直、数年前までレッドツェペリンと区別がつきませんでした。
レッチリ、いまでは常時ipodにはいってます。


メローな曲から、ファンキーな曲、幅広くはいっているGREATEST HITS はおすすめ。最初はピンとこなかったけど、寝かして聴いて、寝かして聴いてしているうちにかなり入ってきました。アゲたいとき、寝る前、アポ前の儀式など、選曲いかんで対応してくれます。

●レッチリについて
アメリカ・カリフォルニア州出身の世界的に人気のあるロックバンド。ファンクとヒップホップをパンク・ロックと混ぜ合わせたミクスチャー・ロック。日本では「レッチリ」。一部のオールドファンは略称「チリ・ペッパーズ」や「チリペ」などで呼ばれる。アメリカでの主な通称は「Chili peppers」。
(参考:Wikipedia

結成は1983年、1stアルバム『RED HOT CHILI PEPPER』の発表が1984年。ということだから20年以上支持され続けているバケモノバンドだ。
1983年、同級生であった、アンソニー(vo)、フリー(b)、ヒレル(g)、ジャック(g)の4人でバンドを結成。84年、クリフ(dr)が加入、が86年に脱退。 3枚のアルバムをリリースしLIVE活動で人気と知名度を得る。ドラッグのオーヴァードーズによるヒレルの死(※1)と、そのショックによって、ジャックが脱退。ドラッグ漬けとショックから復帰は難しいと思われたアンソニーであったが、ドラッグをきっぱり絶ち、希望と、決意を胸に、フリーとともに復帰を果たす。ターニングポイントをむかえたレッチリであったが、89年、当時若干18歳の天才ギタリスト、ジョン・フルシャンテと、確かなリズムと存在感あふれるドラマー、チャド・スミスをメンバーに迎え、レッチリは黄金期を迎えることとなる。2人の加入後、リリースした「Mothers Milk」がヒットし、90年にはファン待望の初来日ツアーも行った。その後、名プロデューサー、リック・ルービンと出会い、91年にリリースされた5枚目のアルバム「Blood Sugar Sex Magik」によりさらなる快進撃が始まった。
うまく流れ始めていたが、92年、ジョン・フルシャンテが突然の脱退。その後、以前からオファーしていたデイヴ・ナヴァロ(ジェーンズ・アディクション)を迎え、ウッドストックフェスティバルへの参加し、「ONE HOT MINUTE」をリリースするが、ツアーキャンセルなどから解散説ばかりが浮上する状況。フィーリングの違いからデイヴ・ナヴァロが脱退し、ジョン・フルシャンテが再加入、この復帰は泣ける(※2)。再加入後のシングル「 Scar Tissue 」を始めとする5枚のシングルはいずれも大ヒットを記録。ファンを増やし、ついに世界ツアーを成功させる。99年の「Californication」は全世界で熱狂的に迎えられ、バンド史上最高の1,500万枚を超えるモンスター・アルバムとなった。
20年以上の歴史をもつバケモノバンド。山あり、谷あり、多くのよろこび、悲しみを経験しながらも常にトップに立ち続けるレッチリ。深みあり、味気あり、弾け飛ぶパワーあり、これからもファンでありたいと思うすばらしいバンド。

※1「ヒレルの死」。(抜粋 http://www.pgs.ne.jp/html/sp/rhcp.html
最も悲惨で軽視することができない事件が初期メンバーであるヒレル(g)の死・・・原因はドラッグの過剰摂取によるオーヴァードーズ。 同時期、同様にドラッグを頻繁に使用していたアンソニー(vo)は「死ぬのは俺でもおかしくなかった」という言葉からわかるようにバンドは綱渡り的な活動を続けていた。RHCPと苦楽をともにしてきたフィッシュボーンのアンジェロ・ムーアの「仲間なら絶対見放すんじゃない」という言葉も空しく、ヒレルを救い出すことができなかったメンバーのショックは相当な物であった。ヒレルの死により精神的ショックから立ち直ることができず、ジャック(g)は脱退、アンソニーも復帰は難しいと思われた。 しかしアンソニーは帰ってきた。バンドのメンバーであり高校時代からの友達を失った悲しみ、絶望感は相当な傷を心に残したことだろう。しかしアンソニーは希望に縋り、覚悟と決意を胸にドラッグを全て断ち切り、フリーとともに再びRHCPは動きだすことになる。

※2「ジョンフルシャンテの復帰」。(抜粋http://www.pgs.ne.jp/html/sp/rhcp.html
18歳から多感な時期をレッチリというスーパーバンドで活動してきたといのは尋常でないプレッシャー、ストレスは他人にはとても理解できるものではないだろう。レッチリを離れたジョンは元々、芸術的な天才肌の才能を活かし絵を書き、音楽的にも何枚かのソロをリリースするも、ヘロイン漬けの生活を送ってしまう。本人はこの当時を一時停止と振り返り、フリーは「ああ・・コイツは死ぬんだなァ」と思ったと言う。ジョンは闘っていた。かつてのRHCPのギタリスト、ヒレルは結果的にオーヴァードーズという最悪の結末を迎えてしまったが、ジョンは打ち勝った! 見事にヘロインを断ち切り再びギターを手にしていた。 ギタリストを失い壊滅状態のアンソニーとフリーは最後の望みを信じジョンを再びRHCPへ誘う・・・返事は「OK!」ジョンも解っていたのだろう自分が一番輝いていられる場所を。 復帰後初セッションでメンバーそれぞれが感じた「RHCP人生最高の日」アンソニー曰く「死んだ人間が生き返ったような不思議だけど最高だ」この言葉に嘘はないだろう。

●よりみち
初期メンバーの出身校Fairfax High Schoolはニルヴァーナの名曲「Smells Like Teen Spirit」のビデオクリップが収録された事でも有名

84年「RED HOT CHILI PEPPER」デビューアルバム
85年「Freaky Styley 」
87年「The Uplift Mofo Party Plan」
89年「Mothers Milk」
91年「Blood Sugar Sex Magik」

アンソニー・キーディス(vo)
フリー(b)
ジョン・フルシアンテ(g)
チャド・スミス(ds)

●リンク
オフィシャル 

YouTube   

Posted by 永卯称瓶 at 14:36Comments(0)music/アメリカ